2009年、旅行の後にあった事。

〜2009年にあったこと〜

1月18日 絵画教室の講師で、高校の美術の先生だった恩師「鵜沼均(人士)先生」がガンのため急逝。
通っていた病院の誤診でがんの再発を見逃され、転院するも突然こんな事に。
フロアーから溢れるほどの大人数が集まる葬儀が行われた。
もう、油絵は描けないかも知れない。拙い絵を最後に仕上げてくれるひとが
居なくなってしまったのだから。

1月21日 相方のおばあちゃんの法事

1月22日 相方の母ちゃん、突然逝去。
もっとやれた事があったと思うとあったことの全てが悔やまれる。
人生って、こんなに非道い事が起きるんだなぁと思った日。
生気を無くした相方から訃報を聞いた瞬間「Ctrl」と「Z」のキーを
空中に探した。無かったらよかったのに1日。

通夜、葬儀と息つく間もなく過ごした。
遺影写真も亡くなった母ちゃんの指示で、とても可愛く写った良い写真を
ポッカリ居間に放置されていたデジカメから発見する事ができた。
亡くなって間もない人は、体が無くなっても空を飛んだりせず
移動するのに、普通に車を使うのだと解った。
霊媒体質だったことをこれほどありがたく思った事はない。
私の盆の窪から亡くなった人の意識が出入りして、相手の考えている事が解り
その際に吐き気がして、咳き込む。でも、本人が良い様に葬儀の手配が出来るので駆使した。

1月28日 初七日
相方の実家は遠い。
残業・休出していた時期だったので、なかなか仕事が厳しかった

2月11日 建国記念日
休日出勤。仕事帰りにまっすぐスーパー銭湯に行く
風呂上がり、マッサージをしてもらっている時に携帯にメールが。
ブルブルしたし光っていたのに、開くとメール無し。着信も無し
亡くなった母ちゃんにメールしたので、返信が来たのだと思った

3月10日 会社の健診日
激務で体調が悪く、年に一回の会社の健診日をサボって病院に行った所、腹部に何かあるとのこと。
調べると「中に人が住んでいる」というような事を医者が言うが「身に覚えがない」ので信じない。
「いやいや間違いない、立派、立派、よかったね」
なんとまぁ、1月28日の初七日が0週0日という中の人発現。妊婦生活開始。
相方の母ちゃんが送り込んだ人に違いない。

3月11日 相方の母ちゃん、四十九日
会社を休み、相方実家へ。
妊婦である事を隠し、重く大きなダンボール荷物をいくつも運ぶ。
妊娠初期、案外丈夫

3月18日 姉の誕生日
胎嚢が確認出来、中の人が生まれる気マンマンであることが解る。
影しか見えないが、男が居ると直感。いやいや、女の子だと思っていよう。
しかしまぁ、ここまできたら生まざるを得まい。

4月
つわりといっても、吐かない程度。世の中の匂いという匂いが憎い
台湾に行って腸炎になって帰国後、餃子のにおいを脳が拒絶した時と同じ感じだ。
人工香料も自然香りも、ハーブも味噌も全て吐き気がするほどくさい
フライパンを熱したにおいもダメだ。ラーメン屋の横を通るとニンニクとスープの匂いが
残飯のにおいに感じる。不思議なものである。その日食べられても、翌日食べられない物も
あり、ずっと食べられたのはキャベツとトマトくらいだった。
会社には内緒にして我慢の日々。休むことなく気合いで過ごす
つわりなどに負けるものか(怒)

5月
父、浮気疑惑。
「妻の妊娠中に夫の浮気発覚」というのはよく聞く話ではあるが
「娘の妊娠中に父の浮気発覚」というのは、ちょっとどうだろう…
色気も、その年になると毛の濃さや体のあちこちに影響するので
いい加減にしといてもらおうと神社に祈願w

8月
お盆で超遠方に帰省。北海道縦断も、妊婦はあっさりこなす。
相方実家には、妊婦である事をはなさずシラを切って帰ってくる。
妊娠8ヶ月でもシラを切れるもんなのだな、と自分のぽっちゃり具合に感心する。

9月
出産予定日が11月4日なので、9月中に産休に入れたのだが
9月いっぱい勤める事になった。最初は会社を辞め、自宅で仕事を請け負って
小銭稼ぎ程度に働き続ける予定で、会社にもそういう話で進めてもらっていたのだが
急遽、辞めない事に。そんなに働けるのか?自分。

産休に入る一週間前、自転車を盗まれた。
妊娠9ヶ月でも自転車通勤していたので(←看護師からはとめられていた)
徒歩で通勤しなければならず、非常に迷惑だった。

10月
産休に入ったら、盗まれた自転車が出てきた。おせーよ。
医者「生まれる時、4キロとか5キロだったらどうする?」と言われる。
中の人がデカイらしい。

11月5日 出産予定日1日超過
検診で「出産が遅くなるのも良くないので、月曜日(11月9日)に入院することにしましょう」
と地獄の宣告。中の人が全く下がってこようとしないため、出すという
浮世に憂いに出てくるのが嫌になった中の人、その気持ちはよくわかる

11月7日 腹痛
相方が土曜出勤だったので、好物のドイツ製シナモンロールラズベリーリーフティー
一人、美味しくいただいてまったりしていた昼下がり、急に腹に引っ張られる感じの違和感

11月8日
深夜2時に強い腹痛で目が覚め、早朝5時に10分間隔になったので病院に連絡
「初産ですよね、まだまだ7分間隔になったらまた電話して」と言われ待機。
昼、間隔が短くなったのでまた電話「まだだと思います」と言われ待機
夕方「もうそろそろ行ってもいいですか」ときくと「晩ご飯食べてきてからでいいですよ」
痛みでメシなど食えるはずもなく、飯時まで我慢してタクシーで病院へ
すぐLDR室に案内され、入院着になって質疑応答
「まだだと思うのでモニター付けます」と一晩寝かされる
相方も出産までここにいる事になる

11月9日
地獄の陣痛促進剤点滴開始
帝王切開になるかも」という言葉を信じ、飯を食わず耐える
助産師、助産師学生、看護学生2名、相方がベッドに常時待機するなか、
中の人、激しく抵抗し降りてこず。
夕方「今日は辞めましょう」と中止宣告。一晩中、深夜に激しい胎動が原因で
陣痛が休み無く起き、死ぬほど身悶えする

11月10日
「今日は陣痛促進剤を入れないで下さい」と訴えるも、朝イチで陣痛促進剤点滴
「今日こそ腹を切って出して下さい」と訴えるも「もったいないですよ、ハハハ」と
宝塚の俳優の様な顔立ちの女性医師から華麗にスルーされる。
それでも帝王切開になる、いやしてくれるに違いないと信じ飯を食わず昼まで耐える
昼の回診で「よかったですね!下から産めますよ」といわれ
いや、頼んでねぇし…と思う(大人だから言わなかった)
午後4時、大学教授、医師、助産師、助産師学生、看護学生、医大生、講師、総勢十数名見守る中
中の人、3820g 52cmの体格でしぶしぶ登場。
新生児のくせに出生時より視力が発達しており、退院まで写真はカメラ目線、
テレビで朝ズバを見る入院生活を送る

そして現在、産休が終わり、引き続き育休取得中
出てきた中の人=ルーク(仮名)と私は一緒にニート生活満喫中

やっとパソコンの前に座る時間が出来た。
今日は15日、一昔前なら成人式で祝日だったのに。今日は平日だ。

もう、あれから一年になるんだなぁ(遠い目)
2010年の日記を書きはじめるために、去年あったことをズラズラと書き並べることにする。